2010年08月19日
お盆
毎日暑いですが皆さんどう過ごしてるのでしょう。
お盆休みは初盆という事もあり家族で実家に帰ってお手伝いしていました。同窓会に行ったり子供をプールにいれたり主人の世話をしたり?(これが一番の手間です)
バタバタとあっという間に日々が過ぎブログも滞っていましたが前から書こうと思っていたおじいちゃんの日記から抜粋して追悼にかえたいと思います。
昭和20年8月9日 晴れ渡った暑い日であった 丁度お昼前皆が昼食の準備を始める時間でした 米軍のB29飛来長崎の上空にて一発の爆弾が投下された時は11時2分 それが原子爆弾であったのだ上空に来るや目もくらむ様な青白い光と重苦しいづしんといふ音と同時に激しい熱風と共にあっという間に建物も人も吹き飛ばされあまりの甚大なる惨状になにをしたら良いか分からない状態であった
会社より家に帰る途中 道路端は川の付近や川の中に被爆されて助けを求める声 水を求める声の中を聞きながら家族の事でそんな人たちに手を貸す余裕もなく通り過ぎなければならない状況であった 被爆のため全く様子が変わり 自宅の見当がつかなくようやく探して帰った家は全焼して跡形もなくなっておった 隣の○○さんの奥さんより家内と子供がやけどをして山の中の防空壕に居られるよと言ってくださった。 (この○○さんの苗字は今の私といとこもこの苗字に嫁いでいるので不思議です)
とここで止まっていたのですが90歳をすぎてから日記と一緒に自分史として思いだしながら書いたものと思われます。なので読みづらい所もありますがそのまま書きました。
祖父は長崎の造船所で働いていたようでそこで原爆にあい3歳の子供は吹き飛ばされていくら探してもわからなかったそうです。奥さんもやけどがひどく宮崎に帰郷してしばらくして亡くなりました。 そして数年後再婚して母が生まれたので私も今ここにあるのですが・・・
8月になると戦争についてのテレビドラマは多く流れてるので目にする事もあると思いますが私はほとんど見ません・戦争映画もです。
見なくても絶対に戦争はあってはならない事だと思うし、今のこの衣食住に困らない生活は本当ありがたいなと思います。まだこの地球でも戦争している国があると思うと悲しいです。
私がこう思うのは幼いころから戦争のひどさを聞かされたわけではなくむしろふれないぐらいの家族でした。原爆の事も親戚の話からこんな感じだったのかな・とおぼろげに思うだけで・・・前にヒプノセラピーを受けた時に前世のある部分でというか一番近いのかな?ガハハタイプのおばちゃんで子供達と一緒の先生だったような感じで一瞬の爆風で身体が焼き尽くされた感覚がありあ~私長崎で死んだんだろうな~と思いました。まあなんで?といわれてもそう感じたのでそうだろうなと思ってるだけですが、もったいない精神とかも強いし爆撃の心配なく子供達と屋根のある場所に寝れるてありがたいなとか昔から思っていたので(普通若い人は思いませんよね)ヒプノ受けてからは納得していました。まあ妄想かもしれませんけどね。.
どこかで聞いた話にも原爆で亡くなってる人は被爆した人の2世3世で生まれかわる率が高いと聞いたのでそうかもねと私は思っています。もしもあの時宮崎に祖父がいれば再婚もなく母も私も生まれなかったのですがもしもはなく私は今ここで生きています。だからこそ寿命がくるまではがんばります。
お盆休みは初盆という事もあり家族で実家に帰ってお手伝いしていました。同窓会に行ったり子供をプールにいれたり主人の世話をしたり?(これが一番の手間です)
バタバタとあっという間に日々が過ぎブログも滞っていましたが前から書こうと思っていたおじいちゃんの日記から抜粋して追悼にかえたいと思います。
昭和20年8月9日 晴れ渡った暑い日であった 丁度お昼前皆が昼食の準備を始める時間でした 米軍のB29飛来長崎の上空にて一発の爆弾が投下された時は11時2分 それが原子爆弾であったのだ上空に来るや目もくらむ様な青白い光と重苦しいづしんといふ音と同時に激しい熱風と共にあっという間に建物も人も吹き飛ばされあまりの甚大なる惨状になにをしたら良いか分からない状態であった
会社より家に帰る途中 道路端は川の付近や川の中に被爆されて助けを求める声 水を求める声の中を聞きながら家族の事でそんな人たちに手を貸す余裕もなく通り過ぎなければならない状況であった 被爆のため全く様子が変わり 自宅の見当がつかなくようやく探して帰った家は全焼して跡形もなくなっておった 隣の○○さんの奥さんより家内と子供がやけどをして山の中の防空壕に居られるよと言ってくださった。 (この○○さんの苗字は今の私といとこもこの苗字に嫁いでいるので不思議です)
とここで止まっていたのですが90歳をすぎてから日記と一緒に自分史として思いだしながら書いたものと思われます。なので読みづらい所もありますがそのまま書きました。
祖父は長崎の造船所で働いていたようでそこで原爆にあい3歳の子供は吹き飛ばされていくら探してもわからなかったそうです。奥さんもやけどがひどく宮崎に帰郷してしばらくして亡くなりました。 そして数年後再婚して母が生まれたので私も今ここにあるのですが・・・
8月になると戦争についてのテレビドラマは多く流れてるので目にする事もあると思いますが私はほとんど見ません・戦争映画もです。
見なくても絶対に戦争はあってはならない事だと思うし、今のこの衣食住に困らない生活は本当ありがたいなと思います。まだこの地球でも戦争している国があると思うと悲しいです。
私がこう思うのは幼いころから戦争のひどさを聞かされたわけではなくむしろふれないぐらいの家族でした。原爆の事も親戚の話からこんな感じだったのかな・とおぼろげに思うだけで・・・前にヒプノセラピーを受けた時に前世のある部分でというか一番近いのかな?ガハハタイプのおばちゃんで子供達と一緒の先生だったような感じで一瞬の爆風で身体が焼き尽くされた感覚がありあ~私長崎で死んだんだろうな~と思いました。まあなんで?といわれてもそう感じたのでそうだろうなと思ってるだけですが、もったいない精神とかも強いし爆撃の心配なく子供達と屋根のある場所に寝れるてありがたいなとか昔から思っていたので(普通若い人は思いませんよね)ヒプノ受けてからは納得していました。まあ妄想かもしれませんけどね。.
どこかで聞いた話にも原爆で亡くなってる人は被爆した人の2世3世で生まれかわる率が高いと聞いたのでそうかもねと私は思っています。もしもあの時宮崎に祖父がいれば再婚もなく母も私も生まれなかったのですがもしもはなく私は今ここで生きています。だからこそ寿命がくるまではがんばります。
Posted by まみかあさん at 02:04
この記事へのコメント
お祖父さまの日記を書いてくださってありがとうございます。
まみかあさんのヒプノのお話を読みながら、鳥肌が立ってきました。
わたしとしては、こういう鳥肌が立つときって、
心の底が共感しているのだな、って感じています。
戦争は、決してしてはいけないですね。
まみかあさんのヒプノのお話を読みながら、鳥肌が立ってきました。
わたしとしては、こういう鳥肌が立つときって、
心の底が共感しているのだな、って感じています。
戦争は、決してしてはいけないですね。
Posted by ちえり at 2010年08月20日 09:38
共感していただいてうれしいです。
あまりにもあやしい話といえばそうなので書くのも迷っていましたが
なんとなく勢いで書けたので公開しました。
どんな理由があっても戦争はだめです・私もそう思います。
あまりにもあやしい話といえばそうなので書くのも迷っていましたが
なんとなく勢いで書けたので公開しました。
どんな理由があっても戦争はだめです・私もそう思います。
Posted by まみかあさん at 2010年08月20日 23:41
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